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立川の小さな教会(日本基督教団 西東京教区)
2021年07月18日(日本伝道の推進を祈る礼拝)ヨハネによる福音書 14章12節〜14節「神の願いにかなう人生」 道家紀一牧師

わたしたちは、主イエスを信じ、御名によって、様々な事柄を祈り願います。実に、自分でも驚くほどの願いや祈りがわき出てくるでありましょう。個人的なことから、世界の果てのことにいたるまで。しかし、本当にこの願いと祈りは、“キリストの名によって”祈り願ってもよいことであろうかと、一度よくよく考えてみる必要がありはしないでしょうか。自分を中心においた祈りは間違った自己肯定の危険性があります。神を信じる者はキリストを中心において祈るべきです。祈る目的を再確認し、祈りと願いを整えるべきです。

2021年07月11日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 14章7節〜11節「神の御業を信じるとは」 道家紀一牧師

キリスト教信仰において、最大の躓きは“復活”です。復活抜きのキリスト教信仰というものが案外あります。それは、主イエスを父なる神と一つであると告白していないところから起こっています。主イエスは神です。父なる神と一つです。だから、復活は本当に起こったことなのです。この点をわたしたちは信じないと駄目です。いくら頭で理解しても駄目です。教理として知っていても駄目です、本気で、「主イエスは神です」と告白することに、神とのまことの出会いがあり、わたしたちの救いが始まります。

2021年07月04日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 14章4節〜6節「人生を分からせてくださる方」 道家紀一牧師

救いと真理の道は命に至る道であると主はいわれます。命の原点は神です。わたしたちが今生きている地上の命は、神の命=永遠の命から来ています。人間がどこから来てどこへ帰ってゆくのか、という問題と繋がっています。問題となるのは、地上の命から再び永遠の命の世界へ行くことが難しくなってしまっている点です。すなわち罪の問題です。罪を重ねて、永遠の命の世界へ帰れなくなってしまっているわたしたちのために、主イエスは溢れんばかりの愛の御業をもって、再び帰る道を示してくださったのです。

2021年06月27日(主日礼拝)エゼキエル書 18章25節〜32節「新しく生きる」 永瀬よしこ牧師

預言者エゼキエルの伝える「信仰共同体のイスラエル民」の神の愛に立ち帰るまでの歴史的流れの体験を通し、いかに神は常に、私たちを愛し寄り添ってこられたかを、確認することができ、最終的には、御自分の大切な御子主イエス・キリストをこの世に遣わされ、人の罪を贖うために十字架にかけられ復活されるという愛を示されたのです。ですから預言者エゼキエルの語る神の声「お前たちは立ち帰って、生きよ」は、深い神の愛で私たちを今も励まし続けるのです。

2021年06月20日(日本伝道の推進を祈る日礼拝)ヨハネによる福音書 14章1節〜3節「心を騒がせず信じなさい」 道家紀一牧師

キリスト者にとって信頼すべきことは、地上にあっても、なおさら、天上にあっても、“主イエス・キリスト”は、わたしたちと共にいてくださる、ということです。誰かを信じたとき、その人との関係が始まります。わたしたちの人生の歩みは、ほんとうに信頼すべき方と共に歩むことによって、いっそう確かで真実なものとなります。キリストは、その信頼を約束する、間違いのないお方です。

2021年06月13日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 13章36節〜38節「二つの違い」 道家紀一牧師

罪に気づいた後の二人、イスカリオテのユダは自ら命を絶ちます。ペトロは新しい召命に生きてゆきます。この違いはどこから来るのでしょう。同じように主は、二人を愛されました。主の愛に、立ち帰れるかどうかの違いではないでしょうか。人の数だけ罪があります。主イエスはどんな罪でも、それを赦す覚悟があります。それが十字架と復活の出来事です。本当の罪の愚かさに気づいた者は、その赦しの恵みにも、本気で帰ってゆけるのです。

2021年06月06日(主日礼拝)ヨハネによる福音書 13章31節〜35節「愛とニーズ(求め)は違う」 道家紀一牧師

人生において、最も皮肉なことは、最も愛する人を傷つけ、最も愛する人から裏切られる、ということが起こることです。しかし、その悲哀を最も味わわれたのが主イエスです。十字架と復活の主の赦しによってしか、この悲哀は癒されることはないでありましょう。互いに愛し合いなさいとは、また、互いに“赦し合いなさい”ということです。最後の極みまで、わたしたちを赦し、愛し続けられた、主イエスの姿を、仰ぎ見つつ歩みましょう。

2021年05月30日(三位一体主日礼拝)ヘブライ人への手紙 1章1節〜14節「御子を万物の相続者と定められた」 平澤基幸牧師

ヘブライ人への手紙は、御子キリストを万物の創造者と定められたと語ります。そして、この御子によって世界は想像されたのであると。しかしまた、その御子によって、「この終りの時代」には、神はお語りになられるのだとも。「終わりの時代」とは、主イエスが天に戻られた後、聖霊によって臨んでくださっている時代=教会の時代(主の再臨を待ち望む時代)です。教会は、今も私たちの罪を赦す十字架と復活の御子キリストを信じ続けています。

2021年05月23日(聖霊降臨日礼拝)使徒言行録 2章1節〜13節「聖霊が降る」 道家紀一牧師

神の偉大な業を目の当たりにした人は驚きます。人間業ではないからです。しかし、そこから人々は信仰に導かれます。あの日(使徒言行録2章)聖霊の働きによって起こったような、心が揺さぶられる経験を経て、多くの人々は信仰に導かれてゆきます。わたしたちも、きっと大なり小なり(気づく気づかないにしろ)そういう経験を経て信仰に導かれているのです。

2021年05月16日(日本伝道の推進を祈る日礼拝)ヨハネによる福音書 13章21節〜30節「そこにはいつも夜があるが…」 道家紀一牧師

主イエスは言われます。「事の起こる前に、今言っておく」と。十字架の悲劇が起こる前に申し伝えておくのだと。“事が起こったとき”すなわち、十字架と三日後の復活の出来事が起こったとき、“わたしはある”(救いはある)という存在をあなたがたが信じるようにするために今語るのだと。今は分からなくとも、いつの日か必ず理解できる日が来ると、主イエスはおっしゃられます。