人は死を恐れます。死を乗り越えようと生きています。しかし誰にも死は訪れます。どんなに栄華を極めようが人は必ず死にます。(必死という言葉には深い意味があります)ところが、その死からよみがえった方がおられます。救い主イエスです。十字架に架かり死んで墓に葬られた(陰府に落ちた)主イエスは、三日後に、父なる神の力によって復活されました。常識外れの出来事です。しかしそこに、罪の報酬としての死を乗り越える神の業が啓き示されてます。
主イエスはエルサレムに入られます。その姿は馬にまたがった堂々としたものではなく、子ろばにまたがった弱弱しいものでした。しかし迎える人々は熱狂し、服を敷き、枝枝を敷き、迎えます。それは彼らの主イエスへの期待でした。ところが、その週の終り、同じ彼らが「十字架につけろ」と叫びます。彼らの期待が外れたからです。十字架に架かるような弱い主ではなく、力強い主を望んでいました。しかしそれは、主の御心ではありません。十字架が御心です。
立川において本格的に朝礼拝をはじめて3年経ちました。この間、土地と建物を探し続けて行きました。しかし、「教会には売らない」とか「先に買われました」とか…いろいろなことがありました。「もうこの地での伝道は難しい」と思うような日々もありました。しかし主イエスはいわれます。「あなたがたに逆らわない者は味方である」と。思えば、ビルの一室を貸してくれる人もいます。土地を探してくれている人もいます。そうです。「町は味方です!」